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1975年大阪府高槻市生まれ。5才のときから中3まで近所の中村絵画教室に通う。 |
| レコード店、レンタルビデオ店などを営んでいた(現在は喫茶店「LOVE STORY」を経営)映画好きの父に連れられていったリバイバル上映の『スター・ウォーズ新たなる希望』(77)を見て「ワッ」と熱狂する。中学時代は図工の時間でも特別扱いされるほど子供ばなれした技量を発揮し、当然のようにデザインを専門教科とする大阪市立港南高校へ進学。絵画・デザイン・工芸・美術史などを徹底的に学習するカリキュラムの中で膨大に出される課題に対応するため、日ごろつけていた“ネタ帳”に現在のグリーンピースなどの原型となるハンプティ・ダンプティ調のキャラクターなどを書き溜めていた。 |
| この頃影響されたアーティストは「ベンシャーン」と「パウルクレー」。推薦で京都精華大学ビジュアルデザイン科に進学。授業でカットアウトアニメーション(切り絵を動かす技法のアニメ)を経験し、興味を覚える。卒業制作で同技法を用いた『ロボロボ』(97)を制作。98年には同作品が第20回東京ビデオフェスティバル・ビデオケーション賞、イメージフォーラム入賞、ハンガリー国際映画祭・シゲブゥールユーズフルアニメーション賞など数多く受賞。バンクーバー国際映画祭、ロッテルダム国際映画祭にも正式出品される。 |
| 同時にこの年大阪・十三の第七藝術劇場でアードマンの『ウォレスとグルミット/ペンギンに気をつけろ!』(93)を見て、「自分がやるのはこれしかない」と思うほどの啓示を受ける。そして京都造形大学のスポンジと針金を使い、パペットアニメーションを制作するカリキュラムを受講。以降独学と自主制作で『緑玉紳士』のパイロット版というべき、『RED SLOT MACHINE』(99)の制作に入る。完成した13分のビデオを各方面に100本以上配布、その反響が『緑玉紳士』につながってゆく。 |
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